富士山 御中道

富士山 御中道

1999年9月11日〜12日
富士山の御中道とは五合目から六合目にかけて山を一周する道で、 標高2,300m~2,800m のアップダウンとなります。富士山頂に三度以上お参りした者だけに許された修練の道だそうですが、現在は大沢崩れが危険なため通行止めとなっており一周できません。  しかし、このたび「富士山直轄砂防30周年記念事業」で御中道を一周回ろう!というイベントがあり、応募しました。100人の募集に250人の応募があったそうですが、運良く当選し行ってきました。注:現在このコースは大沢崩れが通行できません!

出発式

富士宮口五合目での開会式の様子です。ここから時計回りに御中道を一周します。スタート時はいまにも雨が降りそうな、あいにくの天気でした。このイベントは「ぐるっと歩こう、360度。」というタイトルで、塾長として登山家の今井通子さんが同行。初日は、地元の斉藤衆議院議員も同行しました。富士市長の挨拶もあり、んー。さすが建設省、林野庁、環境庁の協力です。

なんとか雨に降られずにすみましたが、一面ガスで写真もぼけてます。ここはたくさん横切った沢のひとつです。沢の名が記載された地図をいただいたのですが、沢が多すぎてどうも特定できませんでした。溶岩が流れてそのまま固まったような、一枚岩の沢が多くありました。沢と沢の間は樹林帯となっています。不思議な光景でした。

オンタデ

オンタデです。これは樹林帯の中ですが、砂礫の山腹にもパッチと呼ばれる群生を持ちます。ということは富士山の砂礫もいずれこんな樹林で覆われるのかなと期待しちゃいます。

シャクナゲ

樹林帯には思いのほかシャクナゲの林が広がってました。今年は咲かなかったそうです。固いつぼみのまま秋を迎えてしまったようです。ここのシャクナゲの葉は丸いです。大きいし。

ダケカンバ

富士山にもダケカンバの林があるんですね!知りませんでした。あまり太い木はありませんでしたが、ガスでかすんで幻想的ないい雰囲気の森でした。

森林教室

林野庁静岡森林管理署の先生が富士山ろくの森林について講演するコーナーです。普段聞けない内容の話で、しかも現場なので臨場感あふれます。みんな熱心に質問してました。

特設のハシゴ

「天の浮橋」と呼ばれる、岩場を横切る危険な個所が崩壊しているため、その部分は高巻いて特設のハシゴで岩を降りられるようにしてありました。なんとこの日のために1週間ほど前に設置したとか。りっぱなハシゴにびっくりしました。イベントが終われば撤去するそうです。

天の浮橋

天の浮橋はごらんのように崩壊していました。古い写真を見ると、この木の橋の上を白装束の富士講信者が列をなして歩いています。諸行は無常なりですな~。

不動沢

天の浮橋を過ぎるとすぐ不動沢です。ここも通過するには大変そうな個所ですが、この日のために 頑丈な橋と手すりが鉄パイプで組んでありまして、おかげさまで安全に渡ることができました。ありがとうございます。

富士山源頭部調査工事現場

大沢崩れの砂防工事現場です。運のよいことに空が晴れてきました。これは左岸から右岸をみた画です。中央やや右下に人が集まっているのがわかるでしょうか。人の大きさから谷の深さを判断して下さい。すごい深いです。遠くからもはっきり大沢崩れがわかるわけですね。

砂防教室

工事現場ではパネルを展示して富士砂防工事事務所の方が講演してくれました。源頭部の工事がどのように行われているか、大沢崩れのメカニズム、などなど。ますます崩壊する大沢。

大沢崩れ

工事現場から富士山頂を眺めた画です。最下部左よりに人が立っています。山頂のちょっと右ぐらいが測候所です。そのすぐ下に見える崖は10mほどあるそうで、いまにも崩れそうに見えます。中央に赤茶けた地層が見えます。その部分は雨が降ると滝になるそうです。こうして見ている間にも崩落は進んでいるそうで、耳をすませばカラカラと音がします。

大沢崩れ

工事現場から下流を写しました。大きな溶岩石が下にのびています。崩落した土砂はこの下にある砂防ダムに一旦堆積し、大雨などで一気に下流に土石流となって流れます。大沢川には扇状地と呼ばれる土石流を受け止めるプールのような場所があり、ここに土砂をためるわけです。たまった土砂は定期的に取り除いて次の土石流に備えるそうです。そういうしくみがあって土砂災害を防いでるのですね~。あーべんきょうした。

モノラック

工事現場で働く人はなんと1時間30分かけて私達の宿泊場所である奥庭荘から歩いて通ってるそうな。工事で疲れた体に大沢の底から300m近い登りは大変でしょう。と、いうわけでモノラックができたそうです。でも歩きましたヨ。

富士三柱神社

いつもは閉じられている富士三柱神社ですが、今日は特別に開店?です。内部は思いのほかきれいでした。古い昭和初期の記帳があり信者がお参りした記憶が神社に染み付いておりました。

お助け小屋

神社と併設されている通称「お助け小屋」です。中央の中村さんは小屋と神社の管理をしています。大沢越えは難所であったそうなのでこの小屋がお助け小屋と呼ばれる所以も察しがつきます。

仏石流し

この辺りになりますと樹林帯とガレた沢が交互に現れます。天気がよく、頂上が見えました。イタドリやオンタデのパッチが観られました。もう日差しが夕方近いのがわかるでしょうか。

滑沢

滑沢を過ぎると奥秩父のような樹林帯が続きます。真っ赤な夕日が木漏れ日となっていい雰囲気でした。天然のカラマツ林だったのかな~。ちょっと思い出せません。 ヘリポートを過ぎスバルラインを横切って宿泊地の奥庭荘に着いたのはヘッドランプ付きの6時30分でした。宿では夕食後に今井さんの講話もありにぎやかでした。

奥庭から富士山

早起きして奥庭を散歩しました。天気がよく、奥庭からの富士山もくっきり。下界は雲で覆われていましたが、毛無山の辺りは頭を出してました。

雪崩教室,火山教室

スラッシュ雪崩(雪解け雪崩、雪代雪崩)について安間先生が解説。富士山はご存知のように雪崩の量も種類も多いということです。草木がないから勢いがすごそうです。  火山である富士山については宮地先生と小山先生が解説。側火山(寄生火山)の分布が北西から富士山頂を通って南東方向にのばした線に集中しているそうで、その延長上には勤め先があるな~。なんて気になったりして。

吉田口

登山者と観光客と馬でにぎやかなスバルライン終点の河口湖五合目を過ぎ、吉田口の登山道をみた画です。つづらおりとなって頂上に伸びてます。たくさんの人が登っていました。

御胎内

五合目富士山東口胎内神社と書いてあります。脇を覗くと真っ暗な穴がありました。おーこわ。この辺りは草や背の低い木が育っていました。

トラバース

宝永山へ向かってのトラバースです。この景色は富士登山ではおなじみですね。ずーっと砂。ちょこちょこっとオンタデ。

宝永山

宝永山が見えてきました。ここまで来ればゴールは近いです。ほんと一周したとは思えないほどあっというまでした。

宝永火口

宝永火口を下りながら火口壁を撮りました。いつ見てもだだっぴろいスロープ。天気がいいと砂埃が大変です。もうゴールが近いのでみんなリラックスして歩いていました。

火山教室

最後の講話です。宝永山の赤岩って昔の富士山(古富士)のものだったんですね。最後は今井さんとも記念撮影して、みなさんお疲れ様でした。そして、工藤さん海野さん岩崎さん関係者の皆さん、ありがとうございました。

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